専立寺日記
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/
<font size="4" color="#2F4F4F">おとこもすなるにきといふもの……
時々させていただいております<br><br></font>
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ja
2010-09-01T20:12+09:00
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祝!HP一周年
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=76
専立寺HPをOPENして、今日で一年です。
私のひとりごとのような日記を読んで頂きありがとうございます。
週一回は更新し、坊守のいけばなの作品もできるだけ
upしていきます。
HPにご協力頂いたyさんありがとうございました
日記やHPについての感想などがありましたら、
「問い合わせ」のページからメールをいただけたら幸いです。
継続は力なりを信じて、これからも続けて行きたいと思います。<br><br>【PR】 <b><a href="http://www.webdeki.com/blog/" target="_blank">WEBできブログ</a></b> 快適動作で画像投稿&携帯対応の無料ブログです。有料版は独自ドメイン可。
専立寺住職
2010-09-01T20:12+09:00
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南御堂の盆踊りに
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=75
昨日は「南御堂盆踊り」にリンクにも貼ってある
「これ持ってる?」の管理人のT中さんをお誘いして
行ってきました。
この盆おどりは、毎年8月27、28日に行われ、
両日で4000人を超える参加者が踊りの輪を作ります。
境内は多くの屋台が出て、定番のお好み焼きや焼きそばを
食べながらビールでのどを潤し夏の終わりをつげる
盆踊りを楽しんで来ました。
ところで、あいかわらずこの猛暑の中でもジムに通っている
私ですがジムのメニューをみたら、
トレーニングの回数がなんと600回を超えてました。
2年と数カ月でこのペース。我ながらよく続いてるものだと思います。
専立寺住職
2010-08-29T13:10+09:00
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お盆で40年ぶりに
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=74
今年のお盆は、実家の愛知県のお寺に13日の昼から
14日にかけて帰郷しました。
私のお寺では、お盆のお参りを頼まれるお家のお勤めと、
普段通りのお逮夜参りで、お盆といっても他宗のように
棚経をするわけではないので、実家の兄の長男が就職して
休めないのでと、お盆のお参りのお手伝いに帰ったのでした。
数軒のお盆のお参りの中には、同級生の家もあり、
40年ぶりの再会を果たしました。
小、中学校の同窓会には一度も出席したことがなかったのに
暖かく迎えてくれ、「もう一晩泊っていけるのなら仲間に
召集かけたのに」と言ってくれる同級生もいて嬉しかったです。
次の同窓会は出来るだけ参加させていただくと、
住所と携帯番号を書いて渡しました。
幼いころから可愛がっていただいた檀家の方がたともお会いでき、
なつかしい思いをしたお盆の一時でした。
専立寺住職
2010-08-18T11:08+09:00
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娘がお得度しました
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=73
御本山・東本願寺で4日に「得度式」が行われ、
長女が受式し、めでたく僧侶になりました。
宗祖親鸞聖人が9歳でお得度されたことにちなみ、
満9歳から得度ができますが、この日は9歳の男児67人と
女児5人を含む188人が受式しました。
くりくり頭の小さなお坊さんたちは初々しく可愛いものです。
御影堂(ごえいどう)の親鸞聖人の御真影前で、
大谷暢顕ご門首にかみそりを当ててもらう
「剃刀(ていとう)の儀」に臨み、授与された
真新しい墨袈裟(けさ)と法名を受けた後、記念撮影をしました。
自坊に帰りさっそく本堂で阿弥陀さまに報告し、
家族で『正信偈』を勤めました。
娘は将来どのような御縁をいただくことになるかわかりませんが
親鸞聖人のみ教えを日々大切にし、歩んで行って欲しいと思います。
3日に組長のお寺で、他の方にもお手伝いを頂き資料を作成し
6日に12組の通常組会を行いました。なんとか滞りなく終わり
副組長の私としてはやれやれです。ご協力ありがとうございました。
坊守のいけばな作品を更新しましたのでご覧下さい。
http://matsuo-kyoho.webspace.ne.jp/bbs/
専立寺住職
2010-08-11T16:40+09:00
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DYLAN.T part2
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=72
ボブディランのTシャツの続きです。
上の段右端のTシャツはこの間の
日本ツァー会場限定のTシャツです。
下の段左端はサンタナとジョイントツァーのものです。
着るのがもったいない気がするし、
洗ってしまうと色落ちしたりするので、
箪笥のこやしになってたりするのです。
まだ数枚ありますが、これぐらいにしておきます。
専立寺住職
2010-08-05T16:30+09:00
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8月の掲示板の言葉
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=71
*--*--*--*--*--*--*
己れに
願いはなくとも
願いをかけられた
身だ
−藤元 正樹−
*--*--*--*--*--*--*
地方によって、お盆を迎える月に異(ちが)いがあるが、
これを迎える人には同じ思いがある。
それは、亡き人を偲んで、あらためて身近に感じるということだ。
私たちは、亡き人を案ずることはあっても、
亡き人から願われている大切なことがあるのを
知らない人が多い。
それは「真実の教えにあってほしい。」
そういう願いをかけられている身ということである。
日頃、何かと気ぜわしく走り回っている私たちであるが、
お盆の休日には立ち止まって、真実の教えに照らされつつ、
一人ひとりが自己を見直す大切な時と場を、
亡き人から賜ったんだなあと受けとめたい。
専立寺住職
2010-08-02T07:24+09:00
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DYLAN.T
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=70
しかし暑いですねー
夏といえばTシャツ!
吉田拓郎とともにBOB・DYLANのファンでもある僕は、
彼のTシャツのコレクターでもあります。
写真の6枚は、彼が若くイケメンだった、
二十代のころをデザインしたものです。
ツアー限定ものや、HYSTERIC GLAMOURなど
いろいろです。
専立寺住職
2010-07-30T11:42+09:00
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続・旧友再会フォーエバーヤング
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=69
日記を書くのがまたまた週末になってしまいました。
今週は、
19日(月)に、先月27日の日記にも書きました、
H田(大学時代のニックネーム珍念)と久しぶりに
再会を果たしました。
今回は、名古屋の母校D大のオープンキャンパスに
ご夫婦と息子さんで来られ、
息子さんは受験に前向きのようでした。
父親(珍念)の方も二十数年ぶりに訪れた
母校がなつかしかったようです。
ただ、四年間を過ごした下宿がなくなってたのと、
その下宿に仲間が集まると出前を頼んでた中華屋、
行けばいつも仲間がいた喫茶店が
なくなってたのを残念がっていました。
存続が気になっていた我が青春のサークルは
部員7人ながら頑張っていると聞き安心しました。
お土産に大分の名産かぼすのジュースCサワー(写真)を
頂きました。猛暑のお参りから帰るたび喉を潤してます。
もう数本なのでまた送ってくれー
しかし、年とったなー。僕もそうだろうけど
自分はいつまでも若い気でいるよな。
九州へ帰る船の待ち時間の10分ほどの短い時間で
残念でしたが息子さんの受験にまた来るとのことでした。
次に会う日を楽しみにしてます。
20日(火)は、摂津市鳥飼の老人ホーム「とりかい白鷺園」さんに
法話にまいりました。
21日(水)は、12組の「平成22年度門徒会総会・懇親会」に
出席しました。12組の門徒会は毎年、年三回の
「研修講座」「組門徒会報恩講」などの行事を独自で行い、
その熱心な姿勢には頭が下がるばかりです。
専立寺住職
2010-07-24T16:55+09:00
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「真宗公開教学講座」
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=68
15日は十二組の「教化委員会」が行われ、
「平成22年度組教化事業計画案」と「同組会計予算案」について
話し合われ活発なご意見を頂きました。
また、12日には、十二組寺族部会主催の「真宗公開教学講座」が
守口文化センターで行われました。
今年は大谷大学教授の一楽真先生に「浄土真宗で救われるとは」
の講題で真宗の教えの要をわかりやすくお話頂き、
参加者は頷きながら聞いておられました。
一楽先生は、
「教えに出遇ったからといって問題が片付いたのではなくて
問題に向き合う力を頂いたということであり、
実はそこからがスタートなんです」
「救いというのは、教えを聞いたら、すぱっときれいになる
と思いますが、そうでなく、親鸞聖人の『正信偈』に
『巳能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん)』、
無明の闇を破っても貪(むさぼ)りやら怒りの雲はいつでも
覆ってくると書いてあります。
ある先生は、大事なのは夜が明けるということだとおっしゃっている。
夜が明けてみたら、こうだったかとわかる。
だけど夜だったら闇なのか雲なのかがわからない。
何が問題なのかわからない。
それこそ、闇雲にこっち行ったりあっち行ったりするしかない。
でも夜が明けてみれば、なんだ雲だったのかということです。
ああ自分の心にまた、貪りの雲が湧いて来たな、
腹立つ心が消えないなと見えるということが大事なのです。
私たちはまともな生き方をしてると思いこんでますから、
闇であったら、腹が立っててもそれが見えない。
夜が明けても決して快晴になったわけではない。
夜が明けたら問題が見えるということが大事なんです。
雲もあれば土砂降りの日もあるんです。
でも夜があけたら土砂降りの中を生きていける、
そういうことが救いの中身です。
教えを聞いたら今日から快晴だというイメージが
あるから、なかなか真宗の教えはわからないと言われますが、
そうではなく、教えを聞いたらスタート地点に立つのです」
と語られました。<font color=""></font>
専立寺住職
2010-07-17T19:30+09:00
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罪と恥〜五木寛之師の講演から
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=67
東京フォーラムを会場に行われた『親鸞フォーラム』の
五木寛之師の講演録を拝見しました。
「人間親鸞のすがた」と題してお話された五木氏は、
小林多喜二の『蟹工船』やドストエフスキーがあらためて
読まれていることを「時代を象徴する現象」ととらえ、
「今度は『歎異抄』の時代が来るかもしれない」と予想。
「今の時代は、形こそ違え親鸞聖人が末法と感じた
世の中と似ている」と述べました。
そして、日本人は実は「恥の文化」ではなく、
「罪を深く意識して生きている」ことを指摘されました。
五木師は、
「ルース・ベネディクトという人の『菊と刀』という名著があり、
日本人の文化というものは”恥の文化”で
れに対して西洋、キリスト教の文化の人間は、
罪の文化であると書かれております。
罪の文化というのは、砂漠の真ん中でだれも見てなくても、
神が見ているということで、自分を抑えるという、
内発的な行為である。
しかし、宗教改革とか以前に、親鸞聖人こそは、
罪業深重(ざいごうじんじゅう) のわれら、つまり、
われらは罪びとであるという、内発的な罪の観念というものを、
自分から選んで決めた、自ら行った行為だけの罪ではなくって、
深い深い縁によって生れた罪を背負ってこの世に生きている
人間である。
われわれ、生きている人間はすべて何かのカタチで、
そのような、大きな心の闇、罪、というものを抱えて
生き続けているのだと。
すでに、中世、遡る聖徳太子の時代に、すでに、日本人には
罪の文化というものの深い意識があった。
念仏をする心の中には、罪というものを非常に深く意識する。
人間のつくった悪というものを意識する。
これがなければ、環境問題なんか、一歩も進まないだろうという
気がして仕方がありません。
私たちは、自分たちが親鸞聖人の開いた道によって、
そのような深い 罪の意識を、近代以前に、
すでに、中世において深く体得している、
そういう 民族である、ということをあらためて、
最近、この本を読んで、つくづくと感じるところがありました」
と話されました。
私たちは恥をかかないことを教育され、
女性として恥ずかしくない振る舞いをとか
子供の恥は親の恥とか、人の目ばかりを気にし、
それに呪縛されているように思います。
私も普段僧侶として誰に見られているかわからないから
恥ずかしくない言動を、とか言われることもあるし、
自らも気にしたりもします。
衣を着ているだけなら、天ぷらでも着ています(笑)。
教えを頂き、
世間の目に振り回されるより
自分に対する眼というもの、
もっと深い自分自身に内存する心の闇、
罪というものを見つめることが
自らを解放する道だと思います。
専立寺住職
2010-07-07T22:43+09:00
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7月掲示板の言葉
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=66
*--*--*--*--*--*--*
仏法には
明日と申す事
あるまじく候う
〜蓮如上人〜
*--*--*--*--*--*--*
「明日があるさ」この言葉にどれだけ励まされ、
またどれだけ自分をごまかし、甘やかしてきただろうか。
やるべきことを先送りし、何もやらずじまいにならないように
姿勢を保たなければならない。
一時一時を精一杯生きたという喜びより、
これでよかったのかという不安が常につきまとう。
往生の人とはどのように生きる人を言うのだろうか。
仏法を聞くとは、そんな我が身が照らされることである。
その時、その場の思い込みでしか生きられない私の姿が
照らし出された時、私がなさねばならない本当に大切な
ことが見えてくる。
自分を知るということこそ、人生の一大事である。
「今、仏法を聞こう」という姿勢だけは保たなければならない。
専立寺住職
2010-07-01T09:00+09:00
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組会と講座とフォーエバーヤング
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=65
26日に当寺を会場に12組の教化委員会と組会が行われました。
この会議では7月から新年度を迎えるため、事業報告と
会計報告を行いました。
来月は、新年度の事業案と予算案の会議があります。
私は副組長なので会計も兼ねているので頑張ります。
また28日には、守口文化センターで12組坊守会主催の
今年度最後になる「女性のための真宗講座〜『歎異抄』に聞く」
が開催され、大谷大学教授の延塚知道先生が歎異抄の第2章の
講義をされました。
京都にいた親鸞聖人のもとを東国の弟子が身命をかえりみず
訪ねた背景には、関東での実子善鸞の布教による問題と
日蓮の法華宗の布教による混乱があったという話や
「往生極楽の道」について話をされました。
そうそう、先日の日記の吉田拓郎とかぐや姫の
つま恋コンサートのオープニング
「旧友再会フォーエバーヤング」です。
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専立寺住職
2010-06-29T18:32+09:00
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旧友再会フォーエバーヤング
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=64
大学時代からの友、珍念が九州から出てくることになった。
彼とは4年間同じサークルで過ごし、彼の下宿で作ってくれた
カレーライスの味は今も覚えている。
先日もやはり同じサークルの静岡のチャキさんが、
T調理師学校に息子が入学し、母親として様子見も兼ねて来阪。
25年ぶりの再会に話がはずんだ。
「旧友再会フォーエバーヤング」という歌がある。
2006年に吉田拓郎とかぐや姫が、全国のおじさん
おばさんを何万人も静岡つま恋に集めた
コンサートのオープニングで歌われた曲である。
「旧友再会フォーエバーヤング」
作詞吉田拓郎
久しぶりに逢えたのだから…
つもる話もかずかずあるけど
何だか胸がしめつけられて…
あなただけとにかく元気でなによりです
結婚してから十年になり…
子供に追われる暮らしの中で
男の夢だけ捨て切れません…
目の前のマッターホルンがまだなのです
あぁ… あの頃よりは少し あぁ… 歳もとりました だけど…
時には無邪気に はしゃいでみたいと…
フォーエバーヤング… フォーエバーヤング
僕はといえば時計にはじかれ…
灰色の街に吸い込まれている
今日一日の照れ笑いのすべてを…
ビールの泡と一緒に飲みほしてます
若かった頃が一番きれいでしょう…
煙草をやめたりむやみに走ったり
そんな毎日が立派だなんて…
魂が熱くならなきゃ恥ずかしいだけ
あぁ… あの頃よりは少し あぁ… 歳もとりました だけど…
時には男だと 肩いからして…
フォーエバーヤング… フォーエバーヤング
あぁ… あなたの様な生き方も あぁ… 私の様な毎日も
人生だと… 言えるでしょうか
随分歩いて来たようで 夢につまづいた日々に追われる…
フォーエバーヤング… フォーエバーヤング
この詩の主人公より年をとり結婚して20年になり、
友人の両親の訃報も届くようになって来たこの頃で、
そろそろ子供の結婚話も聞くようになるのだろうか。
九州の友人も出身のD大学のオープンキャンパスに
息子と来るのだ。息子は父親と同じ大学に入学し、
同じサークルに入ることになるのだろうか。
青春の一時を過ごしたサークルは、
当時30人ほどの部員が在籍し、
人形劇や影絵、紙芝居、ゲーム,童話などを練習し、
合宿も行い、毎年大学のホールで「子供大会」の他、
夏休みを中心にして3〜4人のグループで全国の
寺院の子ども会、児童施設や保育園、幼稚園、
夏のキャンブなどを回り、
私も九州や長野、岐阜,三重などに行きました。
50年以上の歴史をもつサークルですがこの数年
OB交流会の案内も来なくなり心配です。
しかし、学生時代同じ釜の飯を食べた旧友とは、
久しぶりに会ってもすぐに昔に戻れるって素晴らしいことだなぁ
なかなか会う機会がなくても、それぞれの生活の場で
頑張っている友を想うと生きることへの勇気をもらえるようで
心の支えとなってる様に思います。
専立寺住職
2010-06-24T16:09+09:00
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婦人会ーお内仏について
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=63
専立寺では「報恩講」と「永代経」の月以外の毎月14日に
門徒女性を対象に婦人会を行っています。
以前は「尼講(あまこう)」という名称で、
明治時代から脈々と続いている行事です。
先日の例会では、 晩7時から一同で『正信偈』のお勤めをし、
お内仏(お仏壇)についてお話をさせていただまました。
お仏壇とは「仏さまをご安置する壇」のことです。
仏さまとは、ご本尊である阿弥陀如来のことです。
ご先祖をおまつりする所ではありません。
お仏壇は私の心の依り所となり、家庭の精神的基盤となって
下さる阿弥陀さまをご安置するためにあります。
真宗門徒は仏壇のことを「お内仏」と呼び、
朝夕に『正信偈』をお勤めすることでお内仏中心の生活を
してきました。
真宗門徒はご本尊=阿弥陀如来に手を合わせて念仏申すことで
自己中心的な存在であった自分自身に気づき、
生かされていることへの報恩感謝〈ほうおんかんしゃ〉の
生活を送ってきたのです。
ご本尊を安置することで浄土の世界をあらわし、
人間にとって本当に大切な生き方を問いかけているのです。
お内仏に礼拝するということは、ご本尊をとおして仏法を
聴聞〈ちょうもん〉し、念仏申す身となるということです。
亡き人は弥陀の浄土に還られています。
そして「如来の本願を信じ、力強い人生を歩んでくれ」と
願われています。
そうしたご先祖の願いを聞き、御本尊に心から手を合わせることが、
ご先祖を敬い、感謝することになるのです。
(写真は御本尊・阿弥陀如来立像=専立寺本堂)
専立寺住職
2010-06-17T08:57+09:00
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善知識とは
http://senryuji.webspace.ne.jp/diary/?pid=senryuji&commentDispNo=62
大阪教区十二組では毎月、寺院の住職、寺族が参加し
真宗のご聖教の勉強会の輪読会を行っており、
昨日6月の例会が行われました。
輪読会は、毎月持ち回りで寺院を会場にして行われ
前回の『教行信証』に続いて、現在は『三帖和讃』を学んでいます。
その月の担当者が決められた箇所の学びを発表し、
参加者とともに学んでいます。
今月は『浄土和讃』の「大経和讃」最後の五首で、
その中の
「善知識におうことも
おしうることもまたかたし
よくきくこともかたければ
信ずることもなおかたし」
(善知識にあうことも、教化するもむずかしい、
教えを聞いて信ずることさらにもってむずかしい)
のご和讃から善知識(ぜんじしき)について学びました。
善知識は教えの上の導き手のことです。
それは人によって違います。人はそれぞれ自分に
ふさわしい善知識をもつものではないでしょうか。
これはご縁の賜物です。
また、善知識とは年上とは限りません。
後輩あるいは子供とかの場合もあります。
自分の子供が早く亡くなった。それによって
この世は無常であるとわかり、
この世のことわり(法)にうなずけた。
その場合、そのような体験をした人にとっては、
亡くなられたお子さんがその方の善知識です。
それから物でも善知識たりうるのです。
たとえば、真宗七高僧の一人、道綽禅師は
玄中寺の石碑に刻まれた同じく七高僧の曇鸞大師の事績を見て、
念仏の教えに帰依されたといわれています。
つまり道綽禅師にとっては石碑が善知識であったわけでしょう。
あるいは事柄、出来事である場合もあるのでしょう。
たとえば重い病気になったが、それが縁になって、
本当に日ごろの自分が深く反省されて、
心が仏さまのほうに自然に向かうようになったとしたら、
病気という出来事がその人にとって善知識であるわけです。
輪読会では、人に騙されたとしても、そのことで学ぶことが
あったのなら、騙した相手も善知識ではないかという意見も
ありましたが、仏法へ導き手になるものが善知識ではないか
ということでした。
その事で後で思ったことですが、
たとえば私がお話をして、
聞かれた方が仏法にご縁を結んでいただいたなら、
私が善知識ということではなく、お話しの場を持てたことや、
私の口にまでなったお言葉が善知識ということではないでしょうか。
いずれにしても、善知識に会うことが難(かた)いとは、
自分の導き手に出会うことは非常にまれなことであるということです。
専立寺住職
2010-06-12T09:56+09:00