| 2009/11/18(Wed) お寺では願い事をしない? | 専立寺住職 |
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以前“はなれ”で「寺で願い事をしてはいけないのか」という終わることのない大論争が繰り広げられました(大げさ)。
仏教を仏教辞典で調べると「仏陀の説かれた教え。釈尊を教祖とする宗教。仏になるための道を示した教え。仏道ともいう」と書いてあります。
仏陀、釈尊(釈迦牟尼世尊)とも呼ばれるお釈迦さまは、今から2500年前にインドの釈迦族の王子としてお生まれになったのです。しかし何不自由のない贅沢な暮らしを続けても、いつかは年を取って、病気になって死んでしまうのなら意味がないのではないかと、王様になる位を捨ててて、修行をし覚(さと)られて仏陀になられたのです。
王様というのはお金も名誉もあるし、私たちが日頃こうなればいいなぁと思っていることをかなえられる代名詞みたいなものです。しかしそれを捨てられたのです。
年末宝くじが売り出される季節になりましたが、お仏壇の中に宝くじを入れているお家がありました。仏さまやご先祖まで頼って、自分の欲望をかなえようと都合のいいことばかりを願っている私たちです。日頃の私たちは、あれが欲しい、こうなればいいのにと、国王を目指しているのではないかということです。
お釈迦さまが王子としてお生まれになったのにその位を捨てて出家して覚られたということと反対のことを私たちはしているのではないでしょうか。
私が「自分に都合のよいこと」を仏さまに願うのが仏教ではありません。仏教に学ぶということは、凝り固まった自分中心の思いこみや考え方が、やわらかく揉みほぐされ、本当の豊かさと幸せに気づかせてもらうことです。仏法(仏の願い)を聞くそれが仏教であり。その願いを聞く場所がお寺なのです。そして今日一日を生かされて生きていることを感謝し手を合わすのです。
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