| 2010/02/06(Sat) お墓参りとは | 専立寺住職 |
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「はなれ」で管理人さんがお墓参りのことを書いて下さってます。
さすが専立寺HPの管理人さん、おっしゃる通りです。
家族一同でお墓参りをするということのは尊いことです。
しかし、「お彼岸」や「お盆」の時期に墓参り風景が例年、ニュースで報道されますが、その紹介の仕方が決まったように「(墓前で)先祖の霊を慰めていました」となります。
関西では大谷祖廟の墓地がよくテレビに映るのですが「はたして祖廟にお参りの真宗門徒も、手を合わせて先祖の霊を慰めているのか」と疑問に思ったり、不安になったりします。
故人の“霊”に手を合わせて慰めることがお墓参りだと思っていたら、それは少し筋が違います。
はっきり言って、お墓に先祖の霊が宿っているのではありません。固定的実体的な霊をそこに見ようとするのは、他ならぬ私自身の執着心のなせるわざで、実際には。故人はお墓の中に眠っているわけではなく、また遺骨が故人なのでなく、すでに浄土に還えられています。そして、浄土から私たちに向け、阿弥陀さまの真実を知らせんがためにはたらいて下さっているのです。
それではお墓は何のためにあるのでしょうか。お墓はかけがえのない命を私に伝えて下さったご先祖に感謝しつつ「その命を精一杯輝かせ生きてくれ」という私へのご先祖の願いを聞く場所です。
また、遺骨を前にして諸行無常を味わうのもお墓でしょう。
諸行無常の理をかみしめ、先祖の願いを聞きながら、生死を超えて確かな依り所となるお念仏の教えを味わう場−−それがお墓ではないでしょうか。
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